MeSSHについて

icon MeSSHの原点

1980年後半、バブル全盛期で日本中が沸いていた頃、肩関節という運動器に魅了されていた私は昭和大学藤が丘病院で診察・治療・研究に没頭していました。その頃、「なぜ『肩は治りにくい』と言われているのか」、「手術の良し悪しとその後の結果が一致しないことが多いのはなぜだろう」という疑問に納得のいく答えを出すことが出来ませんでした。「僕もそう感じていました」と言ってくれたのが当時、同病院リハビリテーション部で理学療法士をしていた山口光國君(現在、当法人理事)でした。
そこで、2人で肩関節の運動について研究をはじめ、試行錯誤を繰り返しながら、機能的な診断と運動機能への治療結果の違いの正体を探していました。ようやく客観的なデータと共にそれらが一致し、「肩関節の安定化機構」という論文を1990年に第17回肩関節研究会(現 日本肩関節学会)で発表しました。翌1991年に今では一般的な言葉になった“inner muscle(インナーマッスル)”・“outer muscle(アウターマッスル)”という言葉と共に、「肩関節不安定症に対する腱板機能訓練」という演題名で“Cuff-Y exercise”という運動療法の概念論を第18回肩関節研究会(現 日本肩関節学会)発表しました。

1人の選手との出会いから繋がった人の輪

このタイミングで受診してくれたのが、当時、千葉ロッテマリーンズで投手としての選手生命が終わろうとしていた牛島和彦氏でした。
初めて会った時の牛島氏は、肩を上げることが出来ず、痛みで歯も磨けないほどの状態でした。そんな牛島氏に「治したければ輪ゴムでテーブル拭きの運動をしてください。ちゃんと出来れば2週間で歯が磨けるようになりますよ。」と伝え、輪ゴムを親指にかけてテーブルを拭く運動をしてもらうように指導し、1本の輪ゴムを手渡しました。(筒井,1997)再び受診してくれた時には、「10日で痛みが無く歯が磨けるようになりました!」と、とても嬉しそうな笑顔と共に報告してくれました。その後、運動療法を中心とした治療で運動機能がステップアップしていき、再びプロとして復帰のマウンドに立つことが出来ました。その結果、マスコミにも大々的に取り上げられました。
しばらく経ってから、当時の心境を聞いたところ、牛島氏は「気が狂いそうだった。プロ野球選手が、自宅で、しかも食卓の上で、ただ輪ゴムを動かしているだけなんて。本当にこんなので治るのかと思っていた。」と素直に答えてくれました。
研究を始めてから10年以上寝る間もないほどの忙しさで、全国から選手だけではなく、多くの肩関節外科医やトレーナー、理学療法士が来院され、選手を治すための知識や技術を出し合い、基礎実験で確認し、臨床応用するという作業を繰り返し行いました。
選手の治療やコンディショニングを通して、多くの選手や監督・コーチ・トレーナー、理学療法士や整形外科医との素晴らしい人間関係を構築することが出来ただけでなく、それぞれの専門分野からのトレーニング方法やスキルに関する貴重な意見を聞く機会にも恵まれました。
そのことで、私たちは医療サイドとして、基礎研究で裏打ちした運動療法や手術療法を用いた治療のレベルを向上させることが出来、その結果、現場サイドの様々な要望に応えることが可能になっていきました。

「スポーツフォーラム21」と MeSSH へ込めた願い

昨今、「スポーツ医学」という呼称が一般化してきたにもかかわらず、いまだに医療サイドと現場サイドとの間には、スポーツ選手の治療方法やゴールなどの考え方などにギャップがあり、選手が治療から復帰に至る過程において、充分満足のいくものになっているとは言えません。特に、【復帰】という言葉は選手と医療サイドの定義が大きく異なっていると感じています。選手にとって【復帰】とは【障害発生の前の「調子の良い状態で、競技を続けられること」】と考えているにもかかわらず、医療サイドでは【競技場に顔を出したら復帰】と考えている人も多いので、そのギャップが、様々な誤解や不信感を生じさせていると感じています。
選手や患者さんにとって、望む治療が自分の活動拠点から遠い場所でしか受けられないというのはとても不幸なことではないでしょうか。その様な不幸な現状を打破し、いつでもどこでも、選手をはじめとする現場サイドと、我々医療サイドが望ましいと思える治療形態を実現するためには、選手の活動の場、あるいはその地域で、選手が満足のいく治療が受けられることが大切だと考えています。その第1歩は、医療サイド・現場サイドがお互いの立場を理解し合い、それぞれの得意な面を活用し、整形外科医・理学療法士・アスレティックトレーナー・指導者、そして選手自身が、職種を超え同じ土俵で討論し、知識や技術あるいは考え方のレベルアップとすりあわせを行うべきと考えました。
こうした考えを基に、そして、21世紀はこうあってほしいとの願いを込め、2001年に本法人の前身活動団体となる【スポーツフォーラム21 The baseball】をスタートさせました。
この【スポーツフォーラム21The Baseball】は、講演のような一方通行のものではなく、演者・参加者が双方向で、良い技術や考え方を広く伝え共有し、互いに切磋琢磨することでさらに良いものが芽生えてくるように、最も発展性を見込めると考えられるフォーラムという形で、年に1回開催してきました。
2016年に昭和大学を定年退職したのを機に、【スポーツフォーラム21】として提供してきたフォーラムの場をより良いものとするために【NPO法人スポーツ・健康・医科学アカデミー(MeSSH)】を立ち上げました。
この活動を通じて、何でも話せる素敵な人の輪が拡がり、この人々が作る網のような繋がりが機能することで、選手や患者さんが日本の多くの場所でお互いが納得のいく治療が出来る環境となってくれることを願っています。

【参考文献】: 「輪ゴムで五十肩・スポーツ肩が治った!」メタモル出版 / 筒井廣明(1997)